着物産地

京都着物

古都・京都の着物文化とは?

千年以上の歴史を持つ伝統ある都・京都の街。年間の観光客数は5000万人以上という一大観光地ですから、「修学旅行で行ったことがある」「友人や家族と旅行で行った」という方がほとんどではないでしょうか?最近では外国人観光客からの注目度も高く、全観光客数のうち20%、5人に1人が外国人になる日も近いと言われています。

そんな京都は、日本独自の文化である「着物文化」とも深い関わりを持つ街です。今回は京都における着物の歴史や伝統工芸品といった独自の着物文化について、基本的な部分をわかりやすく解説していきます。

京都の着物の歴史

源氏物語
まずは京都と着物の歴史について、そのあらましを見ていきましょう。

平安時代に花開く京都の着物文化

奈良から京都に都が移されたのは、西暦794年。今から1200年以上の前のことになります。京都に置かれた朝廷と貴族達による政治や文化は、現代では「平安時代」「平安文化」と呼ばれています。この部分は日本史の授業で習いましたね。

奈良時代の頃は唐(当時の中国)からの文化の影響が強く、貴族達等の衣服も唐風のものが多かったと考えられています。しかしそれらは徐々に日本風に発達し、小袖(こそで)という現在のキモノの原型に近いものが生まれていきました。庶民たちが着ていた小袖のような着物を、貴族たちは下着として身につけるようになります。

そんな平安貴族たちの着物の生産をほぼ一手に引き受けたのが、京都の街です。奈良の平城京等から絹織物・染色等の工人達が多数釣れてこられ、貴族好みの華やかな着物を作るようになりました。『源氏物語絵巻』や『小倉百人一首』等で、私達は今でもその艶やかな着物姿を絵で観ることができます。

応仁の乱でも途絶えず続いた京都の着物技術

応仁の乱
政治ならびに文化の中心地であった京都の街が大打撃を受けたのが、1467年、室町時代に起きた「応仁の乱」です。この内乱はなんと11年間にわたって続き、京都を中心にした日本各地への戦の火が拡大しました。

しかしやはり戦の被害がひどかったのは京都。街の多くが焼けてしまい、人々も日本各地へ逃げてしまったのです。平安時代に築かれた多くの工芸技術は、ここで散逸してしまったとも言われています。

しかし絹織物や染め物等の職人達は、応仁の乱が終わり落ち着きを取り戻した京都に少しずつ戻ってきて、自分たちの工房を作るようになりました。そのため京都独自の着物文化は途絶えることなく、現代にまで続く伝統ある文化となるのです。

ちなみに織物職人達が居を構えたのは、「応仁の乱」で西軍(山名宗全側)が陣を置いていた地域。そのため彼らの場所は「西軍の陣=西陣(にしじん)」と呼ばれるようになります。後述する京都の伝統工芸品「西陣織」には、このような歴史との深い関わりがあるのです。

江戸時代にも京都は着物文化の中心地

小袖

左の女性は芭蕉文の小袖を着用 wikipedia

1603年には徳川家康が江戸に幕府を開き、政治の中心地は西から東へと大きく移っていきます。しかし京都はその後も着物文化の中心地として栄え続けていきました。

その理由のひとつが、幕藩体制による武家社会での規則や礼式・行儀作法の徹底です。日本全国の各藩は江戸に江戸屋敷を置いて定期的に江戸城に参内し、さらには参勤交代等をする必要も出てきました。戦ばかりの時代を過ぎて、様々な「オフィシャルな行事」を、武家達が行うようになったのです。

そんな中、「行事や身分にふさわしい服装」「礼節や季節に合った服装」等が以前よりも強く求められるようになります。各藩は呉服に強い京都に御用商人を置き、呉服の購入を任せるだけでなく、礼節や支度のマナー等を京都人たちから学ぶようになりました。

さらに庶民の間でも、江戸時代には着物文化に変化が出てきます。「小袖」がさらに発達した「普段着着物」として着用されるようになった他、それまでただ縛って止めるだけだった「紐」が、より装飾的でオシャレな「帯」として活躍するようになったのです。庶民層の間でも「美しい着物」「華やかな着物」などに対する興味関心は高まり、それらの文化の華として「京都」が注目されるようになりました。

今で言うと「デザイン」「カラーコーディネート」そして「マテリアル」…アパレルの全業界における最先端の街が「京都」であったというわけです。今でいうと世界的なファッションの街であるパリやミラノ、ロンドン…といった扱いでしょうか。

明治・大正と日本の近代化が進む中においても、京都の街は伝統的な着物の文化を親から子へ、子から孫へと受け継いでいきました。そして現代においても、京都は独自の着物文化を持つ街として日本中からだけでなく、世界からも注目される存在となっています。

京都の伝統的な着物や和装小物

千年以上の着物の歴史を持つ京都では、様々な独自の伝統工芸品が作られています。経済産業大臣指定伝統的工芸品は日本各地にあるものの、その数がもっとも多いのは京都府なのです。着物・帯等はもちろん、その他の和装小物でも「京都ならでは」の品物を購入することができます。

京都で作られる和装品のすべてを紹介すると何十種類となってしまいますので、ここではその一例をご紹介しましょう。

西陣織(にしじんおり)


前述した「応仁の乱」後にその基礎ができあがった京都独自の織物が「西陣織」です。現在では「西陣織工業組合」の登録商標となっています。西陣織というと、何色もの色糸を使った華やかで豪華なデザインを思うかべる人が多い様子。しかし実際の「西陣織」はいくつもの紋織物の総称であり、伝統工芸品指定を受けている織りの技術だけでも12種類もあります。

金糸等を使った華やかな綴(つづれ)や緞子(どんす)の他、遠い西アジアやアラビア文化を感じさせるような風通(ふうつう)、一見して無地のようにも見えるもじり織り、素朴な風合いが魅力の絣織(かすりおり)等、そのバリエーションは様々です。

京組紐(きょうくみひも)


「組紐」とは、絹糸などを使って手仕事で作られている紐のこと。京組紐は京都市の他、宇治市の一部でも生産されています。もともとは仏具・神具等のために用いられた紐であり、また平安貴族は美しい京組紐をアクセサリーのようにファッションの一部に使っていました。現代では着物の帯の上で結ぶ「帯締め(おびじめ)」としてよく使われる他、洋装用の装飾品や携帯ストラップ等も作られ、人気を博しています。

なお「京組紐」と一口に言っても、その組み方は多種多様。形状も角紐、丸紐等があり、その種類は300種類以上にも及びます。一度締めるとゆるみにくいため、美しさだけでなく「着付けやすさ」という部分でも評価の高い和装小物です。

京友禅(きょうゆうぜん)


京友禅は17世紀後半、元禄時代に宮崎友禅斎がまとめあげた染色の技術です。真っ白な絹織物に絵を描くその手法は非常に鮮やかな色彩で人気となり、日本の染色の在り方を大きく変えました。なお手書き友禅は工程が多く超高級品であるため、その後にはより生産がしやすい「型染め友禅(型友禅)」が主流となっていきます。

現代で「友禅(友禅染)」と言った場合、基本的にはこの京友禅のことを意味しており、金沢発祥の「加賀友禅」等と区別されています。

おわりに

京都独自の着物文化はいかがでしたか?京都には着物姿映える観光スポットもたくさんあります。次回に京都の街を歩く時には、着物の深い歴史を感じつつ着物姿での街歩きをしてみるのも素敵ですよ。

また「ワンランク上の着物の装いにチャレンジしたい!」という方は、京都の伝統工芸品を身に着けてみるのも良いでしょう。なお、京都ではハレとケ(非日常と日常)をきちんと分けるという文化がしっかり残されています。ハレの日にはあら給ったお祝い着を、ケの日にはシンプルな普段着着物を…そんな使い分けができる着物文化の習慣も、ぜひ見習いたいところですね。

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